ちいさなトラック ::: はじめに


はじめに

加藤文俊

2ドル50セントの幸せ

いまでも忘れられない風景がある。もうずいぶん前のことになるが、アメリカで大学院に通っていたころの話だ。ランチタイムになると、キャンパスのすぐ前の通りに、移動販売のトラックが何台も並んだ。ピザやサンドイッチはもちろん、タコス、チャイニーズ、ケバブなど、メニューはとても豊富だった。車内で大人が二人ほど動き回れるくらいの大きなトラックで、立派なキッチンが組み込まれているものが多かったように思う。

キャンパスの近所には、レストランやフードコートもあったが、トラックで買うのが好きだった。その日の気分でトラックをえらんで、だいたい、当時で2ドル50セントほど払えば、満腹になった。しばらくくり返していると、曜日ごとにトラックが変わることにも気づいたし、味の善し悪しもわかるようになった。贔屓したくなるトラックもできた。テイクアウト用の容器をもってキャンパスに戻り、外で食べるのが心地よかった。構内にはたくさんベンチやテーブルが置かれていたし、気持ちのいい季節なら、芝生に座るのも悪くない。ささやかながら、幸せなランチタイムだった。

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いま考えてみると、味はもちろんだが、その日のトラックをえらぶところからはじまって、列に並び、ランチを手に入れ、キャンパスのなかで場所を見つけるところまで、この一連の流れが楽しかったのだ。注文するときだけだが、わずかながらも店主と(英語で)やりとりしていると、なんとなく「異文化」になじんでいくような気もした。

近年、日本のランチタイムの風景も変わってきたように見える。移動販売のトラックは、ひと頃にくらべてたくさん見かけるようになった。いろいろな事情のためだと思うが、アメリカで見たような大きなトラックではなく、軽自動車のワンボックスが多い。見た目はずいぶんちがうが、それでも、あのころのランチタイムを思い出す。わずか一時間ほどの昼休みを彩ってくれる、大切な存在だ。

ちいさなトラックが〈場所〉をつくる

毎学期、2、3年生はグループに分かれてフィールドワークの実習をおこなう。2013年春学期は「ちいさなトラック」に近づいてみることにした。まちかどに現れるちいさなトラックは、ぼくたちに何を教えてくれるのだろうか。

まず、ちいさなトラックには、さまざまな工夫が施されている。かぎられたスペースに、その日の営業に必要なモノを収納しなければならないからだ。きっと、現場での経験をふまえて、幾度も改造・改変がくり返されてきたはずだ。たとえちいさくても、トラックには店主の経験と知恵が埋め込まれている。一台のトラックが停まり、なかから看板(ノボリ)やクーラーボックスが出てくる。やがて、いいにおいが漂って、ぼくたちの食欲を刺激する。大道芸人がトランクひとつでやって来て、その場に即興的に舞台をつくるのと同じように、ちいさなトラックは、さまざまな「しかけ」で、駐車スペースを〈特別な場所〉に変えてしまう。
だから、その工夫の詳細を知ることは、ちいさなトラックを成り立たせている全体の段取りや、店主たちの日常生活について考えるきっかけになる。

そして、なによりも注目すべきなのは、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる店主たちだ。味へのこだわりは当然のことながら、ちょっとしたひと言や、ちいさなトラックがつくり出す全体の雰囲気など、すべてが店主の想いや覚悟の表れだ。もちろん、店主にとって大切な家族や仲間たちがいる。行きずりの客も、「常連」もいる。さまざまな人との関わりがあるからこそ、特別な場所が生まれるのだ。

幸いなことに、三つのグループが、それぞれ個性的なトラックに出会うことができた。学期をとおして何度も通い、店主たちと話をするなかで、いろいろな発見があったようだ。トラックによる移動販売は、夢に見ていたスタイルなのだろうか。あるいは、何かべつの夢へと続いているのだろうか。個性にあふれるちいさなトラックの〈ものがたり〉を読み解くことで、人を想い、まちについて考えるための方法と態度を身につけよう。交わした言葉だけではなく、味覚も、フィールドワークの記憶を刻んでいる。

まるな
heidi pizzeria
Kitchen Crescent

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